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旧暦10月の神無月は「神様がいない月」じゃなく、「神の月」??

10月ですね。
旧暦の1月から12月までのそれぞれに別の呼び方があって、それでいうと10月は「神無月」なります。

神無月。かんなづき。神が無い月。

この言葉になんとなくロマンチックなものを感じるのは私だけでしょうか?

10月がなぜ神無月と呼ばれているかご存知ですか?

そうです。10月は出雲大社に日本中の神様が集まってしまい、出雲以外には神様がいなくなってしまうため「神無月」と呼ばれるようになり、逆に出雲は神様がたくさんいるので「神在月」と呼ばれている、、、、

と言われているのですが、実はこれは違うらしいです。この話は、平安時代以降に出雲大社の御師(おし=その神社の案内役の新色のこと)が全国に広めた後付けの俗説なんだそうです。びっくりですよね。私は産まれて20年間、そう信じていました。(サラッとウソ書きました。てへ☆)

じゃあ、10月はなぜ神無月と呼ばれているのか。
これはたくさんの説があって、どれが正しいかははっきりしないらしいのですが、現段階で有力な説は、

「神の月」→「神な月」→「神無月」

という具合に、古文の世界では「の」のことを「な」と書くことがあるので、本当はこれは「神の月」なんだという説です。「な」という音だけ聞いた人が勝手に「無」にしてしまったんでしょうかねー?

ちなみに、旧暦6月のことを「水無月(みなづき)」と言いますが、これも同じで「水が無い月」なのではなく、「水の月」なのだそうです。これもびっくりですよね!

あ、そうそう、俗説である「出雲に全国の神様が集まる」話の中で、諏訪神社の祭神の諏訪明神は出雲に行かないため、諏訪地方では10月は神在月と呼ばれているらしいです。なんで諏訪神社の神様は出雲に行くなくなったのかというのが結構傑作で、なんでも、諏訪明神が龍の姿で出雲に行ったら、あまりにも巨大だったので、驚いた他の神々が気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」と言ったらしいです(笑)

<参考>

神無月 - Wikipedia

 

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